オサセデラックス(直球王、敗れる)

昨日の続き。

一晩考えてみるに、結局のところ、結果だけを追い求め過ぎて(それも大抵の理由は『とっとと楽になりたいから』)、そこに至るまでの果てしない道のり(体感距離ではアメリカ大陸徒歩横断並だと思う)に気が遠くなり、すぐに嫌になる──ってことなんだなと気づいた。根っからチート世代思考になってるんだなと。そんな有様では確かに、結果に至る道程を楽しむなんてことはできんわな。やる前にすでに結果が見えてるだろ、みたいな。

でも俺がやろうとしているアレもコレもソレも、別に誰から言われてやっているものでもなければ、期限を決められているものでもないわけで、それじゃあなんでそんなことをやろうとしているかと言えば、つまるところ「今日よりマシな明日を迎える」ためにやっているわけなんだよな。長期的な目的意識や目標もないことはないけれど、それもより良い明日を迎えるための努力、というその積み重ねによって得られる(かもしれない)おまけみたいなもんでしかない。確実な結果を求められるような生き方では(幸いにも)ないんだから、せめてまぁ、「今日はこれこれくらいはやっておこうかな」くらいの気構えで、限りある日々を送っていければなと思います。LV.99を目指さなきゃ気が済まん、みたいな考え方が一番アホらしいのでもうやめよう。そもそもお前なんぞがどれほどのもんなんだと。本当、アホですね。

あとはもう普通に、いくらダラダラした生活を送ったところで、まったくなんの生産性もないし、そういう生活で何かしらの満足や代替しがたい快楽を得ているのかと言われたら、別にそういうわけでも全然ないわけで(むしろ刹那的な快楽のみで、次の瞬間には後悔のみが累積されていく。無限に)、それなら自分らしくなかろうとなんであろうと、真っ当な生活に変わったほうがマシだろうというだけの話。それも別に極端にソリッドな生活スタイルにしようというわけでもなく、極めて普通レベルの「この程度はやっていこう」くらいのもん。特別な人間でもないし、特別なことをやろうとも思わん。むしろいかに「普通に」やっていけるかが大事だ。



……みたいなことをいちいち考えて確認していかないと、前に進めない俺に乾杯☆




あとものすごくどうでもいいですけど、今年観たアニメの俺的最優秀OPは獄・さよなら絶望先生のアレに決定で。次点はソウルイーター。そんなん決められるほど観てないですけどね。いや、しかし凄かった。