自己完結な恥ずかしい独り言大会

いつものことですが。


揚げ足取りも嫌だけど、皮肉、嫌味、当てこすりも嫌だなぁ。一定の知識や文脈理解がないと、それと分からないものだから、相手にそれと分からせずに、そいつの周囲の分かる奴だけが分かる、という何とも意地の悪いやり方が出来てしまう、ってところが嫌だ。まぁ、この手の皮肉はあくまで一部のものではありますが。


世の中自分が知らない・分からないことのほうが多いという、当たり前のことを忘れている時がある。それではイカンよなぁ。学ぶべき事は腐るほどあるんだから、ノンビリしてる暇は無くて、とにかく寝る間も惜しんで勉強していかなければならん…のだけど、やっぱり根が怠け者だけにねぇ。はぁ。


ダラダラとのんべんだらりと生きる、ってのが理想なんですが、そんなん本当に理想だわな。俺の場合は、そこを妙に誤解してて、色々な問題を自分で生み出してたんだな、という気がする。切羽詰った問題意識がない=余裕がある、みたいなアホな勘違いなんてその典型だよなー。はぁ。


どっちに行っても逃げられない、という状況の場合は戦うしかないんだよな。何とか自分だけは、高みの見物で済ませられる場所があるんじゃないかと、探す行為は徒労でしかないわなぁ。アハハと蚊帳の外気分で冷笑交じりに見物なんて、大抵は滑稽な行為にしかなってないし、観察者(観戦者)としてそれなりに遊んでみるには、相当な修練や才能(というより資質か)が必要だしねぇ。俺の場合は、愚直に戦ってみる、という選択しかやっぱりないだろう。そこで負けて傷つくことにビビってたら、何時まで経っても何も成し得ない。かといって簡単に負けるのは嫌だし、出来れば勝ちたい。そういう時に備えて、日頃から地道なコツコツとした勉強、鍛錬をしていかなければならないわけだ。ふむ。ま、悔しかったら精進しろってこったな、俺よ。やってみなきゃあ、話は始まらないんだから。勝つまではくたばらねぇ、何度でも起き上がってやらぁ、ってぐらいの意気込みはあって然るべきだろう。少なくとも俺には、スマートでカッコイイやり方なんて出来そうもない。なりふり構わない奴が、結局、強いと思うし。ハングリー精神が重要っつーか。


感情の面でも色々と億劫がって、深く考えてみる、感じてみることをしなかったせいで、見落としていたことも色々あるんだろうなぁ。


言語化のスキル、言葉そのものに対する感受性、表層だけじゃない文脈を読み取る力。言葉ってのは最強の武器だと思うし、これぐらいのことは意識して磨いていこう。言葉によって思わぬところ同士が繋がっていく面白さもあるし。言葉の限界や不備について、どうこう言うのはマトモな日本語が使えるようになってからだな。


それが下手だろうと間違っていようと、自分なりに考えてみるってのは大事だなぁ。じゃないと、いざという時に、困る。そして思考を出来る限り幅をもって行うためにも日頃の勉強が必要になる、と。


うわー、電波文の羅列だな。感情が高まって、考え付くままに書くとこうなる。でもこういうのも、日記の醍醐味かな、とも思うしヨシとしよう。というかこんなことしてないで、サッサと作業を済ませんと…。